私の進路

2019年11月18日

三原高校18回生 佐伯 尚

 

 私の進路を決める出来事が、2回あった。

回目は、中学3年の時です。パイロットになりたいとかいろんな夢を持っていた。

 担任の土井新平先生の進路指導で、家が農家で早く一人前になるため、大阪か神戸に行きたい旨答えた。土井先生は、佐伯君は数学が好きだから中学の教師になりなさい、そのため、高校、大学へ進みなさいと指導された。また、人は高等教育を受けることで成長すると諭された。

 この結果、三原高校に入学した。高校2年生までは、数学の教師になろうと考えていた。

 確か、高校2年の3月頃だと思うが、元神戸市長の原口忠次郎氏が、神戸と淡路に橋を架けようといわれているのを聞いた。元衆議院議員の原健三郎氏も淡路に夢の懸け橋をかけようといわれていたように記憶している。

 淡路島に生まれたので、是非夢の懸け橋の仕事に参加したいと考え、土木工学を選んだ。

徳島大学、大学院では、構造力学研究室で、トポロジーを用いた構造解析について研究した。

 大学では、川田工業の川田氏のつり橋の本を読んだ。この中で、アメリカのタコマナロズ橋が建設後、風による振動(フラッタリング)が激しく、ビデオをとりながら監視していたが、19ⅿ/sの風で落下したことを知った。

 これは、構造解析技術が発達し、厳密な計算ができ、補剛桁がスレンダーになったため、設計荷重として考慮していなかった風荷重でフラッタリングを起こして、落下したものである。

 大学院を終了後、川崎重工業に入社し、品質管理の立場で、明石海峡大橋の仕事に参加した。

淡路島側のタワー、中央の補剛桁、垂水側のアンカーを担当し、校時代の夢がかなった。

 

 

 

舞子から見た夕暮れ時の明石海峡大橋

 

淡路島のサービスエリアから見た明石海峡大橋