山形尚之君 「瑞宝双光賞」受賞おめでとうございます。
コロナ過で憂鬱なこの頃ですが、久しぶりに気持ちがよくなることがありました。
本日(2021年4月29日)の神戸新聞に、春の叙勲欄に山形尚之君の「瑞宝双光賞」受賞の記事を見つけました。
早速、お祝いの電話を入れました。何回か話し中でしたが、やっとつながりました。
新聞には、南あわじ市 元公立小学校校長と書かれていました。
同級生の中では、叙勲は、原口和夫君に次ぐ、2人目だと思います。
幼稚園から高校までの一緒だった山形君の印象は、絵の好きなおとなしいとの男子との印象があります。
電話の前に、インターネットで彼の名前で検索すると、ギャラリーn-gata (teacup.com)(版画の展示)や赤い羽根共同募金南あわじ市社会福祉協議会活動(18cdd67f43b84a992a20d64fa3b59216.pdf (minamiawaji-shakyo.or.jp))などの記事がありました。
山形君は、教育委員会の48歳の時に、小学校の校長になり(早い出世)、定年前の4年間は、母校の三原町市小学校の校長をされたとのこと。母校の校長をするのは珍しいとのこと。
インターネットでのギァラリーn-gataの話をすると、校長になってから、校長室の前に月一回版画(幻想絵画)を展示しており、これらを集めて定年後ギァラリーを開いたそうです。(下の写真)今度帰郷した折に、見学したいと思います。また、県の公安局の許可を取り、古美術商の仕事もされていたそうです。ふくら町でも空き民家を利用したミニ水族館のテレビ紹介もあり、南あわじ市もがんばっていると感じた。また、社会福祉協議会の県の副会長もされているそうです。
受賞式は、5月28日に東京の半蔵門前の国立大劇場であるそうです。コロナが収まっていることを願っています。
山形君、本当におめでとうございます。
原口和夫君の追悼会(記帳)に参加して
2020年1月29日
三原高校第18回生 佐伯 尚
令和2年1月28日(火)14時から16時に、兵庫県職員会館1階多目的ホールで、濱兵庫県県土整備部長主催の原口君の追悼会に参加した。
追悼会は水田先生の電話で知り、県職員の高岡さんから送られた案内状で詳細を知った。奥様に電話すると、悲しいので代わりに娘さんが参加するとのことでした。
多目的ホールに入ると記帳所が設置されており、たくさんの方々が訪問されていた。記帳のあと原口君の遺影と再会した。大変痩せていたが凛としたか表情であった。県土木OBで記帳に参加していた私の大学の同級生の竹谷君から、この写真は叙勲が決まって撮影したとの説明がされた。その横には、昨秋送られた叙勲の賞状と勲章が飾られていた。受賞の後の1月あまりでご逝去された。叙勲が間に合ったのが幸いでした。
遺影の横で、美しい娘さん2人が記帳者にご挨拶されていた。お姉さんは、原口君によく似ていた。妹さんは医者で、原口君の手術に有名な先生を紹介されたと、晴海湧君から聞いていた。
原口君と酒を飲んだ時、県職員OBのボランティアで、県の老朽化した橋梁の調査をしていたと聞いていたので、そのメンバーの方を紹介していただき、お話を伺った。この会は、原口君の発案で始めた、「橋守隊」で、県職員OB40名で構成され、老朽化した県の橋梁の損傷調査とその履歴調査をしているそうです。私も専門が土木(橋梁)であり、川重時代に阪神淡路大震災後の橋梁の損傷調査と補修後の品質確認の責任者であったので、協力したいなと思っていた。
帰りに、記帳記念をいただいた。そこに原口家のご挨拶が添付されていた。この中で、橋守隊のことが書かれており、ご主人の仕事のことを良くご存じで、会話のあったいいご夫婦であったことがよく分かった。
奥さん、元気をお出しください。
原口君のご冥福をお祈りいします。
原口和夫君の追悼会(記帳)に参加して
2020年1月29日
三原高校第18回生 佐伯 尚
令和2年1月28日(火)14時から16時に、兵庫県職員会館1階多目的ホールで、濱兵庫県県土整備部長主催の原口君の追悼会に参加した。
追悼会は水田先生の電話で知り、県職員の高岡さんから送られた案内状で詳細を知った。奥様に電話すると、悲しいので代わりに娘さんが参加するとのことでした。
多目的ホールに入ると記帳所が設置されており、たくさんの方々が訪問されていた。記帳のあと原口君の遺影と再会した。大変痩せていたが凛としたか表情であった。県土木OBで記帳に参加していた私の大学の同級生の竹谷君から、この写真は叙勲が決まって撮影したとの説明がされた。その横には、昨秋送られた叙勲の賞状と勲章が飾られていた。受賞の後の1月あまりでご逝去された。叙勲が間に合ったのが幸いでした。
遺影の横で、美しい娘さん2人が記帳者にご挨拶されていた。お姉さんは、原口君によく似ていた。妹さんは医者で、原口君の手術に有名な先生を紹介されたと、晴海湧君から聞いていた。
原口君と酒を飲んだ時、県職員OBのボランティアで、県の老朽化した橋梁の調査をしていたと聞いていたので、そのメンバーの方を紹介していただき、お話を伺った。この会は、原口君の発案で始めた、「橋守隊」で、県職員OB40名で構成され、老朽化した県の橋梁の損傷調査とその履歴調査をしているそうです。私も専門が土木(橋梁)であり、川重時代に阪神淡路大震災後の橋梁の損傷調査と補修後の品質確認の責任者であったので、協力したいなと思っていた。
帰りに、記帳記念をいただいた。そこに原口家のご挨拶が添付されていた。この中で、橋守隊のことが書かれており、ご主人の仕事のことを良くご存じで、会話のあったいいご夫婦であったことがよく分かった。
奥さん、元気をお出しください。
原口君のご冥福をお祈りいします。
原口君の追悼会場の案内
原口君の遺影と叙勲の賞状と勲章
原口君の娘さんと
左が、お医者さんの妹さん
右が、原口君によく似たお姉さん
記帳者のあいさつにこたえる娘さん
県土木OBの竹谷君
三原高校第18回生同窓会に参加して
2020年1月17日
三原高校第18回生
1月15日阿那賀のうめ丸で開催された、三原高校第18回生の同窓会に参加した。
恩師3名と男子28名、女子26名の参加で、楽しい1次会と有志によるカラオケの2次会、懐かしいと友と楽しいひと時を過ごすことができた。
男子は、234名中、約2割の41人が、女子は、273名中、1割弱の21名がお亡くなりになっていた。
同窓会を始める前に、黙とうをして、お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りした。
お世話をいただいた、船本泰生君のあいさつから始まった。卒業時の恩師14名のうち9名がなくなられており、5名が健在であった。服部達明先生、増田博茂先生、水田弘治のお元気なお姿を拝見することができ、大変良かった。
同窓会の元気で、若々しい女性陣から、先生方に花束を贈呈した。(写真)
服部先生から、長寿のお祝いの内容のご紹介があった。還暦のお祝い(60歳)、古希(70歳)、傘寿(80歳)、米寿(88歳)卒寿(90歳)、百から1を引くと白の白寿(99歳)、1世紀の紀寿(100歳)、茶を分解すると十と十、八十八をたして108の茶寿(108歳)など。先生は上を狙ってお元気そうでした。また菊川先生は106歳との紹介があった。ご存命のあと一人の先生はどなたであろうか?
増田先生は86歳になられたが、お元気で踊り(?)を続けているそうです。水田先生は、高校時代のまじめな話しぶりが変わっておられず、一瞬昔の「かちーん」というワードを思い出した。
水田先生とは、西淡湊の里からバスでご一緒になった。先生は、私がわからなっかった。太ったねと言われた。うめ丸につくまでお話しすることができた。先生は、私の兄と同級生であり、今年が傘寿です。原口君がなくなったことをお話しした。ご存じなく、大変驚いておいででした。家族葬であったので、新聞にも載らなかった、もしかすると私が見落としているかもしれないが。原口君の県退職後の大林組の取締役をしたことはご存じでした。さらに、財団法人兵庫県園芸・公園協会の理事長、兵庫県道路公社の理事町、神戸電鉄の取締役などを歴任されたことを紹介した。また、原口君はなくなる1月強前に、叙勲をいただいたことをお話しした。水田先生は71歳の時、原口君と同じ叙勲をいただいており、お祝い申し上げた。
同窓会は、あっという間に終わった。次回もたくさんの同級生に会えるのを楽しみにしている。
役員の方々、大変お世話になりました。どうもありがとうございました。
なお、名札を準備いただき、話すとき名前がわかり大変良かった。隣の女性から、何組かを書もっとよかったとの意見もあったのでご連絡します。
座席は、受付時に番号をいただき、すぐに席が見つかるはずであったが、番号がランダムにならべられていたので、探すのに苦労した。できれば、番号順での配置がよかった。
集合写真
ご来賓の先生方
左から4人目が服部先生、6人目が増田先生
8任命が水田先生
持参されていた高校の卒業アルバムに懐かしい写真があったので携帯で撮影した。
上段左が、私、右が酒井君
下段左が馬場君、右が原口君
同上
運動会での3年9組の集合写真と
小林章のデコレーション
神戸市西消防団神出支団の穴田勝進元支団長を偲んで
2020年1月8日
三原高校第18回生 佐伯 尚
1月6日 12時30分から三木大和会館で執り行われた神戸市西消防団神出支団の元支団長(階級は団長)の告別式に参列した。大勢の親戚の方々、地域の方々、各種団体の方々が、別れを惜しんだ。
告別式の最後の長男の勝浩さんのお礼のあいさつで、穴田さんの獣医の仕事、地域活動、家庭で穴田さんの紹介など、素晴らしく印象に残るあいさつであった。感激した。ご会葬のお礼の文章に、そのことが述べられているので下記に紹介します。
私が、地域の田井分団の副分団長の時、仕事でイラクへ赴任していた梶分団長に代わって、神出支団の部長になった時、穴田さんは、副支団長であった。支団本部は、消防出初式に始まり、研修旅行、春の神出支団ポンプ操法競技会、西区のポンプ操法競技会、年末特別警戒などを取りまとめ、また、18分団264名で構成していた各分団の消防自動車・機器点検の実施、団員の訓練などを行っていた。また、ふれあいの町づくり協議会、神出運動会の運営支援と警備、盆踊りでの警備などの地域活動も行っていた。
穴田さんは、木村支団長(故人)の補佐を行ない、最強の支団本部といわれた。個人的には、神出町や西区の自治会長を務め、地域の顔であった。
支団本部では、行事の後に手作りの料理で支団本部詰め所での反省会をするのが恒例であった。この会で、穴田さんは、獣医さんとして県に勤務し、私のふるさとの淡路島の三原町で勤務されたことをお聞きし、近親感がわきました。神戸市で食肉事務所の所長をされたことから、年末の夜警では、穴田さんが調達された神戸牛で、木村支団長が料理したホルモン鍋やテールスープなどに舌鼓を打った。このように穴田さんはやさしい反面、消防団活動には筋を通し、大変厳しい方でした。
支団本部の反省会の席上、神戸淡路大震災後の平成9年に設立した神出町福祉防災コミュニティの会長をされていた穴田さんから私に、神出町の運動会での防災コミュニティ競技を考えてほしいとの話があった。そこで、災害現場から毛布と棒切れでつくった手製のタンカーでけが人を運び、消火用水(紅白の球をバケツに入れたもの)のバケツリレーで、障害物(跳び箱、ネットなど)を乗り越えて災害現場の出動し、燃えている家屋(白煙灯を焚いた犬小屋)の消火活動をして、ゴールする競争です。支団本部の皆さんにチェックいただき、コンテを作成した。20年以上神出町運動会で競技されている。
穴田さんは、消防団活動の業績で、藍綬褒章を受章されました。祝賀会は、支団本部が中心になって準備・運営した。その時の業務経歴、消防団活動、消防表彰歴(県知事表彰動を含む)を整理し、改めて穴田さんの偉大さを知らされた。祝賀会では、司会を担当しました。奥様と並んでのお姿が今でも思い出されます。
消防団退団の時、穴田団長の活動記録をまとめ、記念になればと進呈した。これは、木村団長、池町部長の退団時にお送りしたが、消防団の雪や地域の新聞に投稿した記事とか、消防団活動や華甲(還暦)のお祝い写真などを穴田さんの消防団活動をまとめたものです。
消防団を退団後も、神出支団の相談役として、私たち本部役員へのアドバイスをいただきました。また個人的にも役員改正で発生した問題に適切なアドバイスをいただき、また消防活動での不備についてのご叱責もいただいた。
副支団長時代、軽い脳梗塞をおこされ、足が少しご不自由であったがお元気で過ごされていた。風の便りで施設に入られたことはお聞きしたが、訃報をお聞きし寂しい気持ちでいっぱいです。
穴田さんのご冥福をお祈りします。
原口和夫君を偲んで
2019年12月18日
三原高校第18回生 佐伯 尚
12月17日、神出町宝勢にあるステーキハウスでステーキを味わっている午後2時前に、携帯がなった。三原高校の同窓生の晴海湧君からだった。一瞬、嫌な予感がした。10月1日に同じ携帯電話で、三原高校18回生の菊川陽太郎君の亡くなったことを連絡いただいたからである。携帯から聞こえてきたのは、病気療養中の原口和夫君が、12月15日亡くなったとのこと。おくさんから連絡で、葬儀は家族葬で済ませたとのこと。一瞬口がきけなかった。
原口和夫君とは、旧三原高校の同窓生で、3年間高校生活を過ごした。
原口君は、成績優秀であるが、秀才ぶることがなく、気さくな高校生であった。当時、不正をした政治家の小林なにがしをモデルに運動会でデコレーションを製作したことを覚えている。
古典の授業でならった古い日本の言葉を使って、休み時間に物語を作り、私たちを喜ばすのが上手であったと記憶している。
高校時代、どのような経緯で始めたのかは思い出さないが、原口君と晴海君と私の男3名と女性の5名で、交換日記をした。どんな内容を書いたか記憶にないが、青春の記録である。ノート数冊に書いたように思うが、あれば是非読み返してみたい。
原口君は女性に人気があった。同級生に相思相愛の女性がいたが、その女性は高卒後就職し結婚してしまった。今の奥さんとは、大学時代に知り合ったもので、私も京都でお会いした。感じのよい女性であったと記憶している。
高校卒業後、原口君は京都大学に進み、大学院を修了した。私は、徳島大学に進んだが、同じ土木工学を専攻し、明石と神戸の夢の懸け橋の工事に技術者の一人として参加する夢があった。橋梁研究室で、卒論は「トポロジーを用いた構造解析方法」であり、京都大学の大型コンピュータセンタでプログラミング・計算を行った。
その時、銀閣寺の近くの原口君の下宿に転がり込んだ。その時、原口君から、一緒に京大の大学院を受験しようとの申し入れがあり、受験勉強を始めていた。学生運動が激しくなり、受験をあきらめた。大学院での修論でも、京大の大型コンピュータを使用したので、原口君の厄介になった。休日は、哲学の道を散策したり、京都にいる同級生とも親交を深めた。
原口君は、同じ同級生の堀川裕志君とよくマージャンをしていたように記憶している。
原口君は、京大の大学院を終了後、兵庫県に就職し、私は川崎重工に就職した。就職後は、3年8組と9組の同窓会を通じて親交を深めた。この2クラスでは、同窓会ごとに近況報告集を作成したが、原口君はその制作に積極的に協力した。原口君は、高校時代から文章の作成が大変上手で、近況報告集の原口君の内容を読むのが楽しみであった。
県では、地方の事務所暮らしが長かったが、本庁で県土整備部長として、組織をまとめるととも、井戸知事の片腕として、県政、議会対策にまい進されました。
退職後は、財団法人兵庫県園芸・公園協会理事長、兵庫県道路公社理事長、大林組取締役、神戸電鉄取締役を歴任された。
私は、川重から、神戸市の外郭団体の神戸市産業振興財団、神戸市工業課で産学連携などの業務を行った。原口君は、「私は官から民に移ったが、佐伯君は、民から官に移り大変珍しいケースだ」と好意をもって、人に紹介してくれるのが口癖だった。
私が、県OBの淡路さん(故人)から、三原高校同窓会神戸支部の支部長をお受けした時、神戸市OBの橋田君とともに、副支部長として協力いただいた。
淡路さんから、大阪支部と一緒に同窓会を開いたことがあるが、その後支部総会を行っていないとお聞きし、会員が1800名程度おり、その連絡方法や費用の関係でどのように対応するか悩んでいた。
原口副支部長の強い勧めがあり、それまでためていた本部の補助金を使って、案内を出し、総会と懇親会を開くことができた。
これを機会に、原口君に支部長を引き受けていただいたが、病気のため、幹事として登録してもらっている。
支部の役員の連絡会で、原口君から自分の祖先と親族の現状、すなわち家系を入念に調べていることを伺った。淡路島から北海道へ移った親戚もおり、ほぼ家計を完成することができたといっていた。 原口君には、淡路三原高校の同窓会神戸支部での、紹介してほしいとお願いしていたが、残念ながらかなわないことになった。
暇を見つけては、県での橋梁建設技術の実績を活用して、兵庫県内の橋梁の点検の業務にボランティアで参加されていた。私は、阪神淡路大震災のあと、川重の分担の神戸大橋、六甲ライナーなど神戸市を中心に鉄の橋梁の破損状況と補修後の品質確認を2年間にわたり実施した。
できれば、原口君と一緒に橋梁の点検ができればと願っていたが、寂しいかぎりである。
幸いであったのは、今年の秋の叙勲で、瑞宝小綬章を受賞した。これは、公共的な職務の複雑度、困難度、責任の程度などを評価し、重要と認められる職務をはたし成績をあげた人に対して、授与されるものである。これは、原口君の活動の功績を物語っており、ご家族の皆様、同級生にとって大きな誇りになった。
新聞で受賞を知った朝、原口君にお祝いの電話をした。その時は、酸素マスクを外す訓練をしているとおことで、電話するのが苦しそうであったが、まさか、こんなに早いお別れになるとは思ってなかった。
今年10月に神戸支部のホームページ(HP)を立ち上げた。幸い受賞の記事を載せることができた。原口君には、皇居で天皇陛下のお会いした感想をHPにのせていただくようお願いしていた。
還暦を控え同窓会の近況報告集(添付)で、原口君は、以下をコメントしている。
「還暦を間近に控えて自分の志や哲学は何かを問う今日この頃」
このHPでは、哲学するための「論考から考究へ」の欄を設けている。自分の哲学を考えていた原口君に、得意の文章力で原稿をどんどん寄稿してもらう予定であったが、残念である。
ご家族へのお悔やみを申し上げ、原口君のご冥福を願っております。
中学校同窓会に参加して
2019年11月25日
三原高校18回生 佐伯 尚
11月24日、休暇村南淡路で開催された三原中学校市教場の昭和38年卒業生の同窓会に参加した。
卒業生は確か3クラス153名だったように記憶しているが、参加者は35名であった。
同窓会は、最近は、平成19年、平成26年、平成28年と今回の令和元年、参加者がだんだん減ってきており、寂しいかぎりである。
話題は、自分の体調のこと、亡くなった人のことなどが多かった。心筋梗塞を2回起こしたとか、癌がステージ4で、今回が最後の同窓会と思ってきたとか。さびしい限りだが、この年になると、死にそなえて身辺整理が必要だと話した。
中学時代の話題でも盛り上がった。懐かしかった。中学時代、三熊球場でホームランを打ったN君、プロを目指したが、張本選手の打った打球の飛距離を見て、とてもかなわないとあきらめたと。彼から、佐伯君には足の速さではかなわなかったとの話もあった。
同窓会は、淡路島にいる人たちでお世話していただいている。感謝、感謝。
次回の世話人が決まった。よろしくお願いします。次の同窓会も元気で参加し、友と語り合えることを願っている。
菊川陽太郎君を偲んで
2019年11月23日
三原高校18回生 佐伯 尚
10月3日 南あわじ市の「神戸未来 南あわじ斎場」で行われた、菊川陽太郎君の告別式に参加した。
72年5か月の地上の歩みを終え、天のみくにへ召された。佃真人淡路三原伝道所牧師によって執り行われ、牧師の聖書の朗読と菊川君の妹さんの山下恵さんのオルガン演奏による参加者全員での讃美歌の斉唱で、菊川君を見送った。
菊川君は、1947年4月27日、京都で生まれ、1952年に、日本基督教団で幼児洗礼を授かった。
その年に、曽祖父の郷里の淡路島に転居された。65歳で退職後、湊の実家に帰り、この間2年間に及んだ同病生活を送られた。葬儀場の中学校の同級生の女性から、退職後はPTAや地域活動や同窓会のお世話などに力を注いでいたと聞いた。前回の同窓会は、元気だったが、がんが目に来ていっると言っていたそうです。
72歳の短い人生であった。人生の無常を感じた。彼のお父さんの菊川兼男先生は私たちの三原高校の教師でした。菊川先生は、葬儀に参列をされていませんでしたが、104歳になられているとのことでした。
菊川君は、三原高校の同級生です。菊川君は、垢抜けした高校生で、卒業後は慶応大学商学部に学びました。大学時代は、マンドリンクラブのメンバーとして、全国を演奏旅行する慶応ボーイでした。卒業後は武田薬品工業㈱に入社し、人事と総務の仕事一筋に歩んだ。武田薬品十三(じゅうそう)工場事務所長、光工場事務所長を歴任された。
私たち三原高校3年8組と9組は、同窓会ごとに近況報告集を出しています。2005年度の「さて、もうひとはたらき」での菊川君の5年間の3大ニュースをご紹介し、菊川君を見送ります。
淡路三原高校同窓会神戸支部のホームページの作成
2019年11月11日
三原高校18回卒業生 佐伯 尚
この度、兵庫支部のホームページを立ち上げた。
十年程前のある夜に、兵庫県OBの淡路さんから電話で、三原高校同窓会の神戸支部長の引継ぎを依頼された。会員は1800名程度がおり、本部からの支援金では、案内状も出せない。大阪支部と一緒に同窓会総会を行ったが、最近は活動が滞っており、支援金は学校活動に送っているとのことでした。
その時に、神出町のホームページを作成した経験があったので、会員間の情報手段として、ホームページの製作を考えた。
これは、私の住む神戸市西区神出町が県の補助金をいただいての「神出町ふれあいのまちつくり協議会」の活動で、補助金受給の条件としてホームページの作成が要請されていました。この協議会は、神出町自治会、婦人会、老人会、子供会、小・中学校とPTA、消防団などで構成されており、私は神出消防団の副団長として参加しておりました。
協議会の背委任者の自治会長から依頼があり、私が取り組んだ。ホームページ作成の経験がなかったので、職場からの帰り道、大久保駅前で「IBMのホームページビルダー」によるホームページの作成を学んだ。
ソフトの作成は比較的簡単であったが、パソコンや分岐器の購入と児童館に導入されている光ケーブルを分岐して、ホームページをインターネットに接続し、無料のサーバーを活用するのに大変苦労した。
出来あがった協議会のトップページをみて、苦労が吹っ飛びました。
最近、仕事も落ち着いてきたので、ホームページの作成を検討した。
IBMホームページビルダーでは、ハード対応に苦労したので、本屋で探したところ簡単そうな本が見つかったので、作成を始めた。たまたまそのソフトが、同窓会本部のものと同じであったので、それに倣って、作成した。
このホームページが、会員の情報交換に役立つことを願っている。
同窓会報への投稿 原稿
神戸支部 佐伯 尚
神戸支部長をお引き受けしました三原高校18回生の佐伯です。前任の淡路さん、長い間お疲れ様でした。恥ずかしい話ですが、淡路さんから伺い初めて本支部の活動を知りました。淡路さんによると、淡路島を除く兵庫県在住の会員で構成され、会員相互の親睦と母校が実施する事業を支援する目的で設置されたそうです。設立当初は、懇親会の開催と会報「うずしお」の編集発行を通じて会員相互の親睦、情報交換などの活動を活発におこなっていたそうです。その後、会員数の増加とともに親睦事業の開催が難しくなり、平成5年の京阪神3支部との合同総会以来、活動が停滞気味だそうです。引継ぎにあたり、是非活動を活発化するよう要請されました。本支部は会員数が多く、更に平成22年からの志知高校との合同同窓会の発足のこともあり、連絡方法、活動内容に工夫が必要です。当面は、同期の原口和夫さん((財)兵庫県園芸・公園協会理事長)と第23回生の橋田之宏さん(神戸市)を中心にして今後の活動について協議して進めたいと考えています。基本的には、同窓会活動は現状の学年又はクラス単位の活動とし、本支部活動はこれらの活動と連携し、会員に役立つ特色のある活動を模索したいと考えます。例えば、私の同窓会(2クラス100人)では、同窓会毎に、「近況報告集」を発行しています。その表題は、「廃墟から(昭和54年)」、「いまやさしい時を(平成元年)」、「それぞれの実りへ(平成8年)」、「さて、もうひとはたらき(平成17年)」、そして、60歳の節目を過ぎた昨年は、「新たな出発 自分の生き方を求めて」であり、私たちの卒業後の足跡を示す貴重な記録となっています。